だが、たとえば現代の自動車工場では、日々、ロボットを使って自動車が製造されている。この様子は、極端に言えば、まるでロボットが自動車をつくり続け、人間の労働者は、あたかもそのロボットの補佐役のようであるとも言える。そして、この工
(注1) (注2)
場のシステム全体を見ると、それがひとつの生き物のようである。これは、機械が機械を生んでいる、動物で言えば「世代交代」をしているかのように思える光景だ。
「世代交代」は、「自己増殖」と並んで、生物と無生物を分ける、生物の決定的な特
(注3)
徴とされている。だが、上記のように、今日のロボットや自動車は機械であっても、またその巨大な集積であるFA工場は機械システムであっても、「世代交代」という
(注4) ②
機能をもっており、少なくともその面では、動物もしくは、動物の種の姿に近いと考えることができる。そう考えると、生物とは対立するはずの機械も、その違いは単に
③
距離の差に過ぎないと言える。
(奥野卓司『人間.動物.機械―テクノ.アニミズム』による)
(注1) あたかも:まるで
(注2) 補佐役:仕事を助け、補う人
(注3) 増殖:増えて多くなること
(注4) FA工場:生産システムが自動化されている工場
問1 ( ① )に入る適当なことばはどれか。
1 生物と動物
2 生物と人間
3 無生物と生物
4 無生物と機械
問2 筆者は自動車工場における人間の役割はどのようだと言っているか。
1 ロボットではできないような作業をしている。
2 ロボットが自動車をうまく作るのを助けている。
3 ロボットが自動車を作るのを見ているだけである。
4 ロボットに指示を与え、うまく使って、自動車を作っている。
問3 ここで言う②「世代交代」とは具体的に何を指しているか。
1 ロボットが自動車を作り出していること
2 人間が新しい機械を作り出していること
3 同じ種類の自動車がどんどん作られていること
4 人間がロボットを使って機会を製造していること
問4 ③「その違い」とは何と何の違いか。
1 ロボットと自動車
2 動物と動物の種
3 動物と機械
4 動物と生物
(3) 大人のことばと子どものことばの場合も、大人のことばが「中心」で、子どもの
ことばは「中心」ではありません。だから、普通は、私たちは、「中心」であるところの大人のことばを維持しなければならないと思っており、子どもが何か変わった言い方をしますと、( ① )。
しかし、その反面、子どものことばというのは、必ずしも全部大人のことばに合わ
(注)
せて直されてしまうわけではありません。それは、ことばというのが、時代とともに変わるということをみればすぐわかることです。「ことばが変わる」という場合、それは世代から世代への移り変わりで、ずれが起こっているということですし、そのず
②
れというのは、子どものことばに始まったのが、それを直そうとする試みにも関わらず、しきれなくて、それが大人のことばの中に入り込み、言語を変えるのだと考えることができます。こんなふうに考えてますと、「中心」でないものも、最近のことば
③
を使いますと、文化というものを「活性化」する、つまり、それに活力を与える――
そういう意味を持っているものとしてとらえなおすことができるわけです。
(池上嘉彦 『ふしぎなことば ことばのふしぎ』による)
(注) 反面:ほかの面から見ると
問1 ( ① )に入るものとして最も適当なものはどれか。
1 それはおかしいと言って直すことをやります
2 それはいいと言って大人の言葉に取り入れます
3 無理に直そうとしないうちでしばらく様子を見ます
4 全く直そうとしないでそのまま放っておきます
問2 ②「ずれが起こっている」とは、例えばどういうことか。
1 大人のことばが子どものことばを活性化すること
2 子どものことばが大人のことばの中に入り込むこと
3 子どものことばと大人のことばがお互いに活性化しあうこと
4 大人のことばが子どものことばの中にいつのまにか入り込むこと
問3 ③ 「『中心』」でないもの」とは何を指すか。
1 昔のことば
2 大人のことば
3 子どものことば
4 世代間のことばのずれ
問題Ⅲ 次の1から5の文章を読んで、それぞれの問いに対する答えとして最も適当なものを1,2,3,4から一つ選びなさい。
1 人に会うときの心構えは、どんな場合でも同じだが、初対面のときは特に細かいと
ころまで気を配る必要がある。
第一印象は決定的だ。最初の出会いのときに、どんな人であるか、だいたいの判断
をされてしまい、それは固定観念となってしまう。そのあとで、少しぐらい異なった
発言をしたり、新しい行動様式が見られたとしても、第一印象の内容のそれぞれに無理
(注1)
やり当てはめられてしまう。
すなわち、第一印象によって形成された先入観ないしは偏見という「色眼鏡」です
(注2)
べてがみられてしまうのだ。その色眼鏡を外させたり、異なった色のものに変えさせたりするのは、至難の業である。したがって、自分をもっともよく見せる色眼鏡を、相手
(注3)
に最初からかけてもらうように努める必要がある。
(山崎武也 『20代からの気のきいた「マナー」がわかる本』による)
(注1) 無理やり:無理に
(注2) 先入観:初めに知ったことによって作られた観念や見解
(注3) 至難の業:とても難しいこと
