問5 筆者が④「頭を抱えてしまった」のは、なぜか。
1 学生たちが被害者よりも、悪質な交通事故を起こした加害者の方が正しいとして同情しているから
2 学生たちが、被害者の主張を十分に理解せずに、ただ客観的であることが大切だと
考えているから
3 娘を亡くした二木氏に同情し、客観的判断をしていなかったことに、学生たちが気
付かせてくれたから
4 被害者の立場だけを考えるのは社会主義から考えて正しくないということを、学生
たちが、気付かせてくれたから
問6 筆者の解釈では、学生たちはどのような意見を持っているか。
1 学生たちは、加害者の立場よりも加害者の立場をもっと重んじるべきだと考えている。
2 学生たちは、意見を述べるときには、私的に述べるのではなく、社会主義を考えるべきだと考えている。
3 学生たちは、被害者も加害者も一人の人間であり、それぞれの立場から平等に主張してよいと考えている。
4 学生たちは、被害者、加害者の意見を聞いた上で、社会のあるべき姿から考えて、
加害者に罪を償わせるべきだと考えている。
問7 この文章の後に続く筆者の主張として、最も適当なものはどれか。
1 社会主義を重んじるあまり、戦後広がった個人主義を批判し、個人の権利を否定す
るのはやめるべきである。
2 人はそれぞれ違うということを認識し、それぞれの人の立場、考えを尊重して、無理に議論で結論を出すべきではない。
3 個人の権利が尊重され、価値観が多様化した社会の中で、自分の意見を他人に理解
してもらう努力をもっとするべきである。
4 個人の権利の尊重が強調されがちであるが、異なる立場の人々の意見に耳を傾けながら、もっと議論を高める努力をするべきである。
問題Ⅱ 次の(1)から(3)の文章を読んで、それぞれの問に対する答えとして最も適当なものを1,2,3,4から一つ選びなさい。
(1) 手紙というのが、どうも苦手である。手紙を書く必要に迫られたりすると、と
①
つぜんクシャミがとまらなくなったり、おなかをこわしたりする。
もともと、文章を書くのがいやだ、ということもある。が、それ以上に手紙を書くのがいやなのは、あの形式のせいである。
まず、「拝啓」というのが気に入らない。拝啓というのは「つつしんでもうしあげる」というイミらしいが、いまどきそんなことを知っている人は、あまりいない。イミもわからずに、なぜ「拝啓」なんて書かなければいけないのか、ぼくにはまったく理解できないのだ。
(中略)
ま、いちがいに「形式」がいけないとは言わない。もともと形式というのは、みんなの便利さのためにあるものだ。形式があるからこそ、ぼくたちは余分なことに余計に神経を
②
使わずにすむ。もし、手紙の形式というものがなかったら、ぼくたちは手紙を書くたびに、「どう書きだせばいいだろうか」とか、「こう書いたら失礼にならないだろうか」とか、あれこれこまかいことに気をつかって、書かないうちからクタクタになってしまうかもし
(注1)
れない。
が、そういう形式の効用は十分認めたうえで、なおいまの手紙の形式は死んでいる、と
(注2)
ぼくは思う。で、それがぼくたちの首やからだに巻きつき、ぼくたちの手紙を窒息状態に追い込んでいると思う。形式をちゃんとこなせばこなすほど、手紙からどんどん生気が失
(注3) (注4)
われていくのだ。
(天野祐吉『バカだなア』による)
(注1) クタクタになる:とても疲れる
(注2) 効用:役に立つこと
(注3) ちゃんとこなす:うまく使う
(注4) 生気:生き生きした力
問1 ① 「手紙というのが、どうも苦手である」とあるが、その一番の理由は何か。
1 文章を書くのが好きではないから
2 手紙の形式が好きにならないから
3 手紙をどう書き出せばいいかわからないから
4 手紙を書こうとすると体の具合が悪くなるから
問2 ② 「余分なことに余計に神経を使わずにすむ」とは、たとえばどんなことか。
1 疲れたり、体の調子が悪くならないように心配しなくてすむこと
2 書き始めの表現や相手への礼儀を表す言葉を考えなくてすむこと
3 相手の使う形式に合わせて、自分の手紙の形式を変えなくてすむこと
4 自分で考えた言葉をどんどん使って、相手に失礼になっても気にしないこと
問3 筆者は手紙の形式についてどのように考えているか。
1 形式はないと不便だが、現在の形式は手紙を書く意欲を奪うものだ。
2 手紙の形式のもともとの意味を知れば、よい手紙が書けるようになる。
3 相手に対して失礼な手紙を書きたくならないなら、形式は無視した方がよい。
4 形式があるからこそ、自由に好きなように相手に手紙を書くことができる。
(2) 人間と動物、動物と機械は、それぞれ決定的に異なる何かがあるのだろうか。そ
れとも、その違いは、距離の差にすぎないのだろうか。
ここでは、たとえばそのなかの二つ、動物と機械の差を考えてみよう。たしかに機会は無生物であり、動物は生物の一部にほかならない。( ① )は対立する概念なので、機械と生物はまったく異なるものということになる。
