問題Ⅲ 次の(1)から(5)の文章を読んで、それぞれの問いに対する答えとして最も適当なものを1?2?3?4から一つ選びなさい。
(1)私には、ひとをほめるクセがある。「ひと」というのは、芸術家諸君のことだ。これ は、私の心がひろいからではなく、せまいからである。どうしても、ほめられない相手もあるが、少しでも美点を発見するように努力すれば、たいがいはほめられる。たとえ ひとを傷つけても、正しい見解を主張するのが、批評の厳格さであろうが、なかなか①この原則が守れない。守れないというのは、私の心が狭い、弱いからであろう。やっつけやろうと、攻撃だけを心がけるのも、実に狭いやり方であるが、万事ホドホドに、あたりさわりのないようにというのも、②よくないと思う。私は時によると、かつて自分の作品を非難した仲問の作品に対して、ことさら甘い点をつけることがある。これは、 自分をやっつけた相手に対しても、寛大な態度を示したい、つまり自分の心のひろさを証明したいためであり、結局は心のひろさではなくて、心のせまさを暴露していることになる。
(武田察淳「武冊泰淳全集第16巻己による)
(注)あたりさわりのないように:無難に
問(1) ①「この原則」とは筆者のどのような態度を指すか。
1.芸術作品の批評をする時、少しでも美点を見つけようと努力する態度。
2.芸術作品の価値を見極めるため、批評を行う際の厳しさを失わない態度。
3.芸術作品の批評をする時、作品だけでなく芸術家を決して傷つけない態度。
4.芸術作品の真の価値にかかわらず、常に厳しい批評や主張で攻撃する態度。
問(2) ②「よくないと思う」とあるが、筆者は個がよくないと思っているか。
1.厳密な評価ではなく、甘めの評価を示すこと。
2.批判されたことがある相手の作品を攻撃すること。
3.批評において、常に正しいと思う見解を伝えること。
4.厳しい評価によって、自分の能力の高さを証明すること。
(2) 親孝行という話をすれば、私はいろんな人に、子供に期待するなよ、ということを言うんですね。なかば冗談なのですが、子供は親孝行なんかする必要ないんだと。なぜかといえば、子供が生まれる前、そして生まれた瞬間、それから六つ七つぐらいまでのあいだに、子供は親に生きる喜びというものを十分与えつくしているのだから、というふうに言うのです。
昔、私の友人でも、生まれる子供の名前を一生懸命に考えて、暇があればノートに書きつけているような男が、おりました。そのことは彼の生きていく上でのひとつの喜びだったと思います。そして子供が生まれる。そのうちに片言でパパ、なんて言ったりす る。それから歩くようになる。(中略)幼稚園にはいり、小学校にあがる。子供の誕生から成長の過程のなかで、そのつど両親は言葉につくせないほどの人生の喜びというものをあじわいっくしているんじゃないかと思います。
(五木寛之「人生の目的』による)
問(1) 筆者の考えと合うものはどれか。
1.親は子供に親孝行を期待してもよいが、子供が十分成長するまで待つべきであろう。
2.親は子供が幼い時に愛情を与えつくしたのだから、子供が親孝行するのは自然であろう。
3.子供は幼いころに親に対して生きる喜びをすでに与えておリ、それが何よりの親孝行であろう。
4.子供の成長長は親にとって生きていく上で喜びだが、子供の側も親が喜ぷように孝行するべきであろう
