美国总统就任演说3(2)
网络资源 Freekaoyan.com/2008-04-14
われわれの現在の一番の要求は、政府以上のところへ達することである、多くの人が関心をもち、関わっていくようにしたいということである。
しなければならないことは、政府と国民がともに取り組まなければならない。そうでなければ、それは全くなしとげることはできないだろう。過去の苦悩の教訓は、国民の助けがなければ、われわれはなにもできないが、国民の助けがあればわれわれは何でもできるということである。
われわれの偉大な仕事につり合うように、われわれには人々の力が必要なのである。大事業だけではなく、こういう小さなすばらしい努力にも参加するような人々の力が。その小さなすばらしい努力とは、全国的な雑誌のかわりに、地方紙のヘッドラインをかざるようなものである。
これらをもって、われわれは偉大な精神の伽藍を作り上げようとしている。われわれ一人一人が、一度に一つの石を、つまり隣人に手をさしのべたり、助けたり、ケアしたり、なにかをしたりすることをつみあげることで、作り上げるのです。
私は平凡で安穏とした人生について、話しているわけではない。私は、残酷で犠牲に満ちた人生を求めているわけでもない。私はあなたがたに、思い切った冒険に加わらないかと頼んでいるのです。その冒険は、人類愛と同じくらい豊かなもので、われわれが生きている時と同じくらい興奮させるものである。
自由の本質とは、われわれ一人一人が自分自身の/命を形づくることに加わるということです。自分より大きな大義の一部分でなければ、その人は決して本当に完全とはいえないのです。
成し遂げるには、われわれの才能を利用しなければなりません。われわれは、才能の利用を促進する精神の高潔さを持つようにしよう。
われわれがなしとげられることを評価するために、われわれは出来るとわかっていることだけを約束しよう。ただ目的の大まかな計画をえがき、夢をみることによりわれわれの気分は高揚するだろう。
誰一人、隣人が自由でないあいだは、完全に自由とはいえない。完全に前進するということは、ともに前進することである。
これは、白人と/人が二つではなく一つの国として手をとりあうことも意味している。法律がわれわれの良心に追いついてくるのです。残っているのは、法律の中にあるものに生命をふきこむことです。それは最終的には、神の前で尊厳において生まれながらにして平等であると同時に、人の世でも尊厳において生まれながらに平等であることを保証することなのです。
われわれが本国においてともに前進するということを学べば、全人類においても、ともに前進することを模索できるでしょう。
これをわれわれの目的としよう。平和がないところで、平和が歓迎されるようにしよう。平和がもろいところで、平和を強固なものとしよう。平和が一時的なところで、平和が永遠のものとしよう。
対決のときをへて、われわれは交渉のときを迎えている。
全ての国々にこの政権下では、われわれとのコミュニケーションの扉は開かれていることを知らせよう。
われわれは開かれた世界を求めている。アイデアや、物や人の交流に開かれている世界を、つまり全ての人が、数の多少にかかわらず、怒りにみちた孤立のなかで人生を送ることがない世界を。
われわれは全ての人が味方になることを望むわけではない、ただしわれわれは敵を一人もいないようにすることはできる。
われわれの敵になるような相手に対しては、われわれは平和な競争をすすめたい。領土を侵攻したり、支配を拡張したりすることなく、人々の生活を豊かにするような競争を。
われわれが宇宙の開拓をすすめれば、新しい世界へともに行くこととなる。それは征服する新世界ではなく、共有できる新しい冒険となる。
一緒に加わろうとするものとともに、平和を確かなものとするために、貧しいものと飢えるものを救うために、われわれは協力して武器を削減しよう。
弱さに誘惑されるすべての人に対しては、われわれが必要とされるかぎりは、必要とされるだけ強くあることを疑わせないようにしよう。
ここ20年間、私は新人下院議員としてこの首都にはじめてやってきたときから、世界中の国々のほとんどを来訪してきた。
私は世界のリーダーのほとんどと面識がある。そして世界を分断している戦力も、憎悪も恐怖も経験してきた。
私は、平和がそれを望むだけでは到来しないことを知っている。何日もいや何年もがまんしたり続いている悲劇には、代替するものがないということを私は知っている。
私はまた世界中の人々を知っている。
私は飢えた小さい子供を見たこともあるし、戦闘で傷ついた人の苦しみや息子を亡くした母親の悲しみを見たこともある。そこには、イデオロギーも人種もなんの関係もない。
私はアメリカを知っている。私は、アメリカの本質がよいものであることを知っている。
私は自分の心の底から、そして私の国の心底から、われわれが苦しむものや悲しむものに抱いている深い関心について話している。
私は今日、神と国民の前で、アメリカ合/国を支持し守る誓いをたてました。この誓いに私は神聖な宣言をつけくわえたいと思います。私は執務室のスタッフの力と、私の全精力と私がもつ全ての知恵を、国々のあいだの平和の大義へとささげるということを。
強いものも弱いものも同じように、このメッセージを聞いて欲しい。
われわれが勝ち取ろうとしている平和は、他の人々への勝利ではない。「その羽を癒す」平和である。苦しんでいるものへの同情をいだき、われわれと対立してきたものへの理解を示し、世界中の人々に自分自身の/命の選択をできる機会をもたらす平和なのです。
たった数週間前に、われわれは神がみた人類の最初の光の栄光を共有しました。つまり暗闇で光を反射する唯一の球体をみたのです。
アポロ号の宇宙飛行士が、月の灰色の表面をクリスマス・イブに飛んだとき、宇宙飛行士たちはわれわれに地球の美しさについて語った。そしてその声は月との距離があるにもかかわらず明瞭で、それを聞くと神の地球への美しさへの祝福をわれわれに思いおこさせた。
その瞬間に月からみた景色が、詩人のアーチバルド・マックレイシュを感動させ、こう書かせている。
「ありのままの地球をみると、永遠の沈黙のなかで浮遊し、小さくて青く美しく、われわれはともに地球の上に/っているのであり、永遠の冷たさの中での暖かいすばらしい兄弟であり、今や本当に兄弟であることを知っている兄弟であることがわかるのだ」
すばらしい技術的な勝利のときに、人類はその目を自分の国と人類にむけなければならない。そこには地球での人類の/命は、分割できないという考えをみることができる。そして、われわれに宇宙のどこまで到達しても、われわれの/命は星々にではなく、地球、つまりわれわれの手の中、われわれの心の中にあるのだということを教えてくれる。
われわれは、アメリカの精神における長い夜を耐えてきた。しかしわれわれの目は夜明けの最初の光がかすんでいるのを捕らえている。残りの暗さをのろうのはやめよう。光をあつめようではないか。
われわれの/命は、絶望のコップではなく、機会の聖杯をさしだしている。われわれは恐怖ではなく、喜びのなかでその聖杯をつかもう。そして「ともに地球の/り手であろう」、前進しよう、信念をかたくもち、目的をしっかりさせ、危険に注意しよう。しかし神の意志と人類の約束に信頼をおくことで、われわれは励まされているのである。
