美国总统就任演说6(2)
网络资源 Freekaoyan.com/2008-04-14
わたしはヒーローのことを第三者のように話してきたかもしれないが、私が言いたいのはあなたたちのことである。なぜなら私が話しているヒーロー、つまりあなたたち、この祝福された国の国民たちに向かって演説しているのだから。あなたたちの夢や希望、目的は、神に誓って、この政府の夢であり、希望であり、目的なのです。
われわれは、あなたの性格の大きな部分をしめている思いやりを人にもたらさなければならない。われわれは国を愛していながらその国の人を愛さないなんてことがあるだろうか、そして愛していれば、彼らが倒れていれば手をさしのべ、病気のときは看病し、彼ら自身でも十分と思えるほど機会を提供でき、そうすれば彼らは机上だけではなく実際に平等となるのではないだろうか?
われわれは直面している問題を解決できるだろうか? 答えは、はっきり力強く「はい」といえる。ウィンストン・チャーチルの言葉を簡単に言いかえれば、私は世界でもっとも強い経済が崩壊するのをこの目で見るつもりでたった今宣誓したりはしないということだ。
これから先、われわれの経済を減速させるような障害物を私は取り除くつもりである。手順は、政府のいろいろなレベルでのバランスをとることを目指しながら進めて行く。歩みは遅いかもしれない、ミリやセンチで計るものでメートルでは計れないだろう、でもわれわれは前進する。この産業の巨人は再び目覚め、政府をその歳入の範囲内におしとどめ、懲罰的な税金を軽くするときなのである。そしてそれこそがわれわれがもっとも優先することである。そしてこの方針においては、妥協は一切しないつもりだ。
われわれの独立の苦闘の前夜に、アメリカの建国の父のなかでも最も偉大な人物の一人と思われる男、ジョセフ・ワーレン、マサチューセッツ議会の議長であるが、アメリカ国民にこう語っている。「われわれの国は苦境に陥っている。しかし絶望することはない。アメリカの将来はあなたたち次第なのだ。あなたたちは、まだ生まれぬ何百万もの人々の幸福や自由がかかっている重要な問題を解決しなければならない。自身にふさわしい行動をしてください」
さて私は、われわれ今日のアメリカ人が自身にふさわしい行動をとる準備や、自身や子供たちや孫たちの幸福や自由を守るためにやらなければならないことをやる準備ができていると信じている。そしてわれわれがここ、われわれ自身の土地で、自身を新たにすることで、世界中においてより大きな力をもつのがわかるだろう。われわれは再び、現在自由をもってない人々に対して自由の手本となり、希望のかがり火となることだろう。
われわれと自由を共有している隣国や同盟国に対しては、われわれは歴史的な結束を強め、支持を保証し、コミットメントを強固なものとする。われわれは忠/には忠/をもって当たるだろう。われわれはお互いに益となる関係のために力を惜しまない。われわれは友情を隣国や同盟国の主権に強いるようなことはしないし、われわれの主権は、売りに出されているようなものではない。
自由の敵、潜在的に対抗するようなものに対しては、アメリカ国民がもっとも望んでいるのは平和だということを知っておいてほしい。われわれは平和のために交渉するし、犠牲を払う。ただわれわれは、未来永劫に平和のために降伏することはないだろう。
われわれが寛容であることは、決して誤解されてはならない。われわれが紛争に消極的なのは、意思が不足しているからと誤って判断されてはならない。国の安全を守るために行動が必要なときは、われわれは行動する。われわれは、必要ならば効果があるのに十分な力を保有しつづけている。もしわれわれがそうすれば、それこそがその力を決して使わない公算がもっとも高いことを知っているからである。
とりわけ、われわれはどんな武器でも、世界中の武器庫の武器でさえ、自由な男女の意思と道徳的な勇気にくらべればものの数ではないことを理解しなければならない。それこそが、今日われわれの敵が持ち合わせていない武器なのである。それこそが、われわれがアメリカ人としてもっている武器なのである。テロリズムを実行し、隣人を苦しませるような人々をみれば、このことは理解できるだろう。
私は何万人もの祈りの会が本日開かれていると聞いている。そしてそう聞いて私は深く感謝している。われわれは神の下の国であり、私は神こそがわれわれを自由にしようと思っていると信じている。もしこれから何年間も大統領就任演説の日に、祈りの日であると宣言されれば、ふさわしいし、よいことだと私は思う。
このセレモニーがあなたがたもすでに聞いたように、この議事堂の西側で行なわれるのは歴史上始めてのことである。ここに立っていると、壮大な眺めが目に入り、この都市のすばらしく美しく、歴史に彩られた町並みがひらけている。この屋根のないモールの端は、われわれがその肩の上にのっている偉大な人々にとって神聖な場所なのである。
われわれの目の前には、歴史的な価値のある人のモニュメントがある。ジョージ・ワシントンはわれわれの国の建国者である。謙虚な人柄で、権力の座にはしぶしぶながらついた人だった。ワシントンはアメリカを独立戦争の勝利から独立国家としての揺籃期まで導いた。もう一方の端には、トーマス・ジェファーソンの荘厳な記念碑がある。アメリカ独立宣言は、彼の雄弁さで輝いている。
そしてリフレクティングプールを超えてリンカーン記念堂の荘厳な柱がある。だれでもアブラハム・リンカーンの人生にアメリカの真の意味が見出されることは、心から理解できるだろう。
英雄のモニュメントをこえるとポトマック川がある。その対岸には、アーリントン国立墓地のなだらかな丘があり、そのシンプルな白い目印が十字架やダビデの星をささえ、列をなしている。それらは結局のところ、われわれの自由に支払われた代償のほんの一部分にすぎない。
その目印のどの一つをとっても、私が先ほど話したようなヒーローのモニュメントである。その命はベローの森やアルゴンヌ, オマハビーチ, サレルノそして地球の反対側のガダルカナル、タラワ、ポーク・チョップ・ヒル、長津湖、そしてベトナムという場所での何百の水田やジャングルで失われた。
その一つの目印には一人の若い命が眠っている、マーティン・トレップロウ、1917年に小さな町の床屋の仕事をなげうって、名高いレインボー師団でフランスに渡った男だ。西部戦線で、彼は砲弾の飛び交う中、大隊の間を一つの伝言をとどけようとして命を落とした。
われわれは彼が日記を携帯していたことを聞いている。本の余白ページには「私の誓約」という表題の下にこう書かれていた。「アメリカはこの戦いに勝たなければならない。そのために僕は戦い、倹約し、犠牲をはらい、耐え、勇気をもって戦い、そして、全ての苦しさの原因は僕自身にあるかのように最善をつくすこと」
今日われわれが直面している危機は、マーティン・トレップロウやその他の何千人もの人々がそのために召集されたような犠牲をわれわれに求めはしない。しかしながら、われわれ自身の最大限の力と、すばらしい行ないをするために自身とその能力を信じようとする心を求められている。神の助けをかり、ともにそれを信じるために、われわれは今直面している問題を解決できるし、するだろう。
そして結局、どうしてそれが信じられないというのだろう? われわれはアメリカ人ではないか。
神の恵みがあなたにありますように、どうもありがとう。
