端午節(鲁迅作品日文版)(2)
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「全くそうよ、お金なしではお米が買えません、お米なしでは御飯が焚けません……」
彼女の両方の頬ぺたがふかふか動き出した。この怒ったような答案は、ちょうど彼の「大差無し」にほとんどぴったり符号するものである。続いて彼女は頭をくるりと向うへむけて歩き出した。習慣法に拠れば、これは討論中止の宣告を表示したものである。
凄風冷雨のこの一日が来てから、教員等は政府に未払月給を請求したので、新華門前の泥々の中で軍隊に打たれ、頭を破り、血だらけになった後で、たしかに何程かの月給が渡った。方玄綽は手を一つ動かさずにお金を受取った。古い借金を少し片づけたがまだなかなか大ものが残っていた。それは官俸の方がすこぶる停滞していたからで、こうなるといくら清廉潔白の官吏でも、月給を催促しないではいられない。ましてや教員を兼ねた方玄綽は、自然教育会に同情を表することになった。だから/が罷業の継続を主張すると、彼はまだ一度もその場に臨んだことはないが、しんから悦服して公共の決議を守った。
それはそうと政府は遂に金を払った。学校もまた開校した。ところがその二三日前に、學生聯盟は政府に一文を上程し、「教員が授業しなかったら未払月給を渡す必要はない」と言った。これは少しも効力がなかったが、方玄綽は前の「授業すればお金をやる」という政府の言葉を思い出し、「大差無し」の一つの影が眼の前に浮び出し、どうしても消滅しない。そこで彼は講堂の上で公表した。
右の通りこの「大差なし」を煎じ詰めると、そこに一種の私心的不平が伴うていることがわかり、決して自分が官僚を兼ねていることを弁解したものではない。ただいつもこういう場合に彼は常に喜んで、中国将来の/命というような問題を持出し、慎みを忘れて自分が立派な憂国の志士であるように振舞う。人々は常に「自ら知るの明」なきを苦しむものである。
しかし「大差無し」の事実はまたまた発生した。政府はまず人の頭痛の種を蒔く教員を放ったらかしたが、あとではあっても無くてもいいような役人どもを放ったらかした。未払いまた未払い、さきに教員を軽蔑していた役人どもは、そのうち幾人かは月給支払要求大会の驍将となった。二三の新聞には彼等を卑み笑う文字がはなはだ多く現われたが、方玄綽はこれを少しも不思議とは思わない。何となれば彼の「大差無し」説に依って、新聞記者はまだ潤筆料の支払いが停止しないから、こういう呑気な記事を書くので、万一政府もしくは後援者が補助金を断つに至ったら、彼らの大半は大会に赴くだろうと認識したからである。
彼は既に教員の月給支払請求に同情したので、自然同僚の月給支払請求にも賛成した。しかし彼は/と一緒に金の催促にはゆかない。やはりいつものようにお役所の中に坐り込んでいる。彼は一人偉がっているのじゃないかと疑う人もあったが、それは一種の誤解に過ぎない。彼自身の説に拠ると、生れてこの方、人は彼に向って借金の催促をするが、彼は人に向って貸金の催促をしたことがない。だからこの点においては「長ずる処にあらず」。その上彼は手に経済の権を握る人物が大嫌いだ。この種の人物はいったん権勢を失って、大/起信論を捧げ、仏教の原理を講ずる時にはもちろんはなはだ「藹然親しむべき」ものがある。けれど未だ宝座の上にある時には結局一つの閻魔面で、他人は皆奴隷のように見え、自分ひとりがこの見すぼらしい奴の生殺の剣を握っていると思っている。そういうわけで彼はこの種の人物を見るのもいやだし、また見たいとも思っていない。この気癖が時に依ると、自分ながらも一人離れて偉く見えるが、同時に実は本領がないのじゃないかと疑うことがある。
誰も彼も左を求め右を求め、一節期一節期を愚図々々に押し通して来たが、方玄綽などは以前に比べるととてもあがきが取りにくくなって来た。だから追い使いのボーイや出入の商人にはいうまでもなく、彼の奥さん、方太太ですらも彼に対してだんだん敬意を欠くようになって来た。彼女は近頃調子を合せず、いつも一人極めの意見を持出し、押しの強い仕打ちがあるのを見てもよくわかる。五月四日の午前に迫って彼は役所から帰って来ると、彼女は一攫みの勘定書を彼の鼻先に突きつけた。これは今までにないことである。
「すっかり〆め上げると百八十円。この払いが出来ますか」
彼女は彼に目も呉れずに言った。