「いい
包だ。全くいい
包だ。ああいう熱い奴を食べれば、ああいう血饅頭はどんな
癆症にもきく」
華大媽は「癆症」といわれて少し顔色を変え、いくらか不快であるらしかったが、すぐにまた笑い出した。そうとは知らず康おじさんは
破れ
鐘のような声を出して喋りつづけた。あまり声が大きいので奥に寝ていた小栓は眼を覚ましてさかんに咳嗽はじめた。
「お前の
家の小栓が、こういう/気に当ってみれば、あの病気はきっと全快するにちがいない、道理で老栓はきょうはにこにこしているぜ」
と胡麻塩ひげは言った。彼は康おじさんの前に言って小声になって訊いた。
「康おじさん、きょう死刑になった人は
夏家の息子だそうだが、誰の生んだ子だえ。一体なにをしたのだえ」
「誰って、きまってまさ。
夏四

の子さ。あの餓鬼め」
康おじさんはみんなが
耳/を引立てているのを見て、
大に得意になって瘤の
塊がハチ切れそうな声を出した。
「あの小わッぱめ。命が惜しくねえのだ。命が惜しくねえのはどうでもいいが、
乃公は今度ちっともいいことはねえ。正直のところ、引ッ
剥がした著物まで、赤眼の
阿義にやってしまった。まあそれも仕方がねえや。第一は栓じいさんの/気を取逃がさねえためだ。第二は
夏三爺から出る二十五両の
雪白々々の銀をそっくり
乃公の
巾著の中に納めて一文もつかわねえ算段だ」
小栓はしずしずと小部屋の中から歩き出し、両手を以て胸を
抑えてみたが、なかなか咳嗽がとまりそうもない。そこで竈の下へ行ってお碗に
冷飯を盛り、熱い湯をかけて
喫べた。
華大媽はそばへ来てこっそり訊ねた。
「小栓、少しは楽になったかえ。やッぱりお
腹が空くのかえ」
「いい
包だ。いい
包だ」
と康おじさんは小栓をちらりと見て、
皆の方に顔を向け
「夏三爺はすばしッこいね。もし前に訴え出がなければ今頃はどんな風になるのだろう。一家一門は皆殺されているぜ。お金!――あの小わッぱめ。本当に大それた奴だ。牢に入れられても監守に向ってやっぱり
/叛を勧めていやがる」
「おやおや、そんなことまでもしたのかね」
後ろの方の座席にいた
二十余りの男は憤慨の色を現わした。
「まあ聴きなさい。赤眼の阿義が訊問にゆくとね。あいつはいい気になって釣り込もうとしやがる。あいつの話では、この
大清の天下はわれわれの物、すなわち
皆の物だというのだ。ねえ君、これが人間の言葉と思えるかね。赤眼はあいつの家にたった一人のお袋がいることを前から承知している。そりゃ困っているにはちがいないが、搾り出しても一滴の油が出ないので腹を欠いているところへ、あいつが虎の頭を掻いたから堪らない。たちまちポカポカと二つほど頂戴したぜ」
「
義哥は棒使いの名人だ。二つも食ったら参っちまうぜ」
壁際の駝背がハシャギ出した。
「ところがあの馬の骨め、打たれても平気で、
可憐そうだ。
可憐そうだ、と抜かしやがるんだ」
「あんな奴を打ったって、
可憐そうも糞もあるもんか」
胡麻塩ひげは言った。
康おじさんは彼の
穿きちがえを冷笑した。
「お前さんは
乃公の話がよく分らないと見えるな。あいつの様子を見ると、
可憐そうというのは阿義のことだ」
聴いていた人の眼付はたちまちにぶって来た。小栓はその時、飯を済まして汗みずくになり、頭の上からポッポッと湯気を立てた。
「阿義が
可憐そうだって――馬鹿々々しい。つまり気が狂ったんだな」
胡麻塩ひげは
大にわかったつもりで言った。
「気が狂ったんだ」
と、
二十余りの男も言った。
店の中の客は景気づいて
皆高笑いした。小栓も賑やかな道連れになって懸命に咳嗽をした。康おじさんは小栓の前へ行って彼の肩を叩き
「いい
包だ! 小栓――お前、そんなに
咳嗽いてはいかんぞ、いい
包だ!」
「
気狂いだ」
と駝背の五少爺も
合点して言った。
四
西関外の城の根元に
靠る地面はもとからの官有地で、まんなかに一つ
歪んだ
斜かけの細道がある。これは近道を貪る人が靴の底で踏み固めたものであるが、自然の区切りとなり、道を境に左は死刑人と
行倒れの人を
埋め、右は貧乏人の塚を集め、両方ともそれからそれへと段々に土を盛り上げ、さながら
富家の祝いの饅頭を見るようである。
今年の
清明節は殊の外寒く、柳がようやく米粒ほどの芽をふき出した。
夜が明けるとまもなく華大媽は右側の新しい墓の前へ来て、四つの皿盛と一碗の飯を並べ、しばらくそこに泣いていたが、やがて銀紙を焚いてしまうと地べたに坐り込み、何か待つような様子で、待つと言っても自分が説明が出来ないのでぼんやりしていると、そよ風が彼女の遅れ毛を吹き散らし、去年にまさる多くの
白髪を見せた。
小路の上にまた一人、女が来た。これも
半白の頭で
襤褸の著物の下に襤褸の
裙をつけ、壊れかかった
朱塗の丸/を提げて、外へ銀紙のお宝を吊し、とぼとぼと力なく歩いて来たが、ふと華大媽が坐っているのを見て、
真蒼な顔の上に羞恥の色を現わし、しばらく躊躇していたが、思い切って道の左の墓の前へ行った。
その墓と小栓の墓は
小路を隔てて
一文字に並んでいた。華大媽は見ていると、老女は四皿のお
菜と一碗の飯を並べ、立ちながらしばらく泣いて銀紙を焚いた。華大媽は「あの墓もあの人の息子だろう」と気の毒に思っていると、老女はあたりを見廻し、たちまち手脚を顫わし、よろよろと幾歩か
退いて眼を

って

れた。その様子が傷心のあまり今にも発狂しそうなので、華大媽は見かねて身を起し、
小路を跨いで老女にささやいた。
「
老

、そんなに心を痛めないでわたしと一緒にお帰りなさい」
老女はうなずいたが、眼はやッぱり上ずっていた。そうしてぶつぶつ何か言った。
「あれ御覧なさい。これはどういうわけでしょうかね」
華大媽は老女のゆびさした方に眼を向けて前の墓を見ると、墓の草はまだ生え揃わないで黄いろい土がところ禿げしてはなはだ醜いものであるが、もう一度、上の方を見ると思わず
喫驚した。――紅白の花がハッキリと
輪形になって墓の上の丸い頂きをかこんでいる。
二人とも、もういい年配で眼はちらついているが、この紅白の花だけはかえってなかなかハッキリ見えた。花はそんなにも多くもなくまた活気もないが、丸々と一つの輪をなして、いかにも綺麗にキチンとしている。華大媽は彼女の倅の墓と他人の墓をせわしなく見較べて、倅の方には青白い小花がポツポツ咲いていたので、心の中では何か物足りなく感じたが、そのわけを突き止めたくはなかった。すると老女は二足三足、前へ進んで仔細に眼をとおして
独言を言った。
「これは根が無いから、ここで咲いたものではありません――こんなところへ誰がきましょうか? 子供は遊びに来ることが出来ません。親戚も本家も来るはずはありません――これはまた、何としたことでしょうか」
老女はしばらく考えていたが、たちまち涙を流して大声上げて言った。
「
瑜ちゃん、あいつ等はお前に
皆罪をなすりつけました。お前はさぞ残念だろう。わたしは悲しくて悲しくて堪りません。きょうこそここで霊験をわたしに見せてくれたんだね」
老女はあたりを見廻すと、一羽の
鴉が
枯木の枝に止まっていた。そこでまた喋り始めた。
「わたしは承知しております。――瑜ちゃんや、
可憐そうにお前はあいつ等の
陥穽に掛ったのだ。
天道様が御承知です、あいつ等にもいずれきっと報いが来ます。お前は静かに
冥るがいい。――お前は
果して、しんじつ
果してここにいるならば、わたしの今の話を聴取ることが出来るだろう――今ちょっとあの鴉をお前の墓の上へ飛ばせて御覧」
そよ風はもう
歇んだ。
枯草はついついと立っている。銅線のようなものもある。一本が顫え声を出すと、空気の中に顫えて行ってだんだん細くなる。細くなって消え失せると、あたりが死んだように静かになる。二人は
枯草の中に立って仰向いて鴉を見ると、鴉は
切立ての樹の枝に頭を縮めて鉄の
鋳物のように立っている。
だいぶ時間がたった。お墓参りの人がだんだん増して来た。老人も子供も
墳の
間に出没した。
華大媽は何か知らん、重荷を卸したようになって歩き出そうとした。そうして老女に勧めて
「わたしどもはもう帰りましょうよ」
老女は溜息
吐いて
不承々々に
供物を片づけ、しばらくためらっていたが、遂にぶらぶら歩き出した。
「これはまた、何としたことでしょうか」
口の中でつぶやいた。二人は歩いて二三十歩も行かぬうちにたちまち後ろの方で
「かあ」
と
一声叫んだ。
二人はぞっとして振返って見ると、鴉は二つの
翅をひろげ、ちょっと身を落して、すぐにまた、遠方の空に向って
箭のように飛び去った。
(一九一九年四月)